上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
私が女装するようになってから
性同一性障がいを持つ人たちと出会うことが何度かあって
その都度羨ましく思った
自分自信の性別の認識がはっきりあるからだ
心と体が違っていても
心ははっきりと認識してる
そして世間での性同一性障がいというものに対しての認識も
一般的になってきて性同一性障がい者の地位も確立されつつある
私自身は女装で
女を装っているだけで普通に男として生活してます。
性同一性障がいでもない、その中途半端さって・・・
性同一性障がい者から見れば
その中途半端さを不愉快に思うだろうと
もちろんノンケからもね・・・
自分は大量生産されていく人間のなかで稀に出てくる不良品だ
女装するたび思う
昔の記事を読んだことのある人は
またかぁ~って思うかもしれないけど
そういう根本的にあるものってやっぱり変わらないよね
中性的という言葉があるけど
まさにそんなものを目指しているのでなないだろうかって
思ったりします
男になりたいわけでもないし女になりたいわけでもない・・・
男として扱われるのも苦痛だし女として扱われるのも苦痛だったりする・・・
そういう性同一性障がい者になれないおちこぼれの私
そしてこれかもその曖昧な認識の中で生きていくのだろうと・・・
曖昧であればあるほど心は落ち着くのかな
男と女の境界線の上を行ったり来たり
どっちにもつかずにぶらぶらと・・
行く場所も何も考えずに散歩をする
それが自分にとっての自由